関ケ原



 映画になりましたね。
 司馬遼太郎の小説は何回も読みました。

 そもそも勝ち目がなかった家康がいかにして勝利したのか。
 戦場の配置で圧倒的に有利とされた三成がなぜ負けたのか。
 戦争物であり人間ドラマですよね♪
 個人的には勝者に勝因なく敗者が自滅してしまった...と思います。

 ポイントは、関ケ原戦場では安国寺、長曾我部が動かなかったこと。
 安国寺恵瓊はあの場で西軍として東軍になだれ込んでしまえば、毛利はその安国寺恵瓊を討つか
 安国寺恵瓊とともに東軍を背後から討つか、どちらにしても毛利が戦後に冷遇されることはなかったでしょう。
 長曾我部は単独で南宮山の南を迂回して戦場の京極・藤堂の背後をつけば小早川が寝返らなかった
 可能性すらあります。もちろんですが、小早川が寝返らなければ赤座・小川・朽木・脇坂も寝返らなかった
 でしょう。

 関ケ原外では、かの名将立花宗茂が大津城攻めに加わる必要はなく(ここは膠着させておけばよい)
 関ケ原に間に合えあえば最強の軍団となっていたでしょう。
 又、上杉軍の総参謀直江兼続はこの戦いは勝てないとふんでいたように思えます。
 かの戦国最強軍団をもってすれば、長谷堂を攻略できないわけはないでしょう。
 負けてなお上杉家を存続させるために手を抜いたように思えます。

 西軍最大の敗因は、三成は戦場に参加せず、日本全ての戦場を忍者を使って最速に情報を
 集めて最速に指示を出せなかったことですね。
 もっともそのためには、いわゆる”へいかい”な性格を補う補佐役が必要だったのでしょう...

 そして忘れてはいけないのは兵糧。
 これを東軍に供給したのは九州の鍋島。
 三成としたことが鍋島の米買い占めに気が付かなかったのは迂闊でした。
 もっとも一日で決着したので、兵糧がどの程度役に立ったかは不明です。

 一方徳川は、豊臣子飼いの武将を三成にくしから味方につけられましたが、
 戦場の布陣では圧倒的に不利であり、小早川の裏切りすら6:4
 しかも大谷吉継はすでにそれに備えていたわけで、敵味方唖然とした四将の裏切りで
 薄氷の勝利となったわけですから、東軍に勝因なく西軍に敗因ありです。

 日曜日の夕食は、なんと国産ウナギのうな丼!
 マルエツにてってけ買い物に行ったらなんとなんと宮崎産のウナギ、やや小ぶりですが、
 一匹700円!思わず二匹ゲット!
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 うな丼だけではありませんぞ~♪
 ローソンのげんこつコロッケ。
 具だくさんのお味噌汁
 九州産のたくわん
 お供は純米吟醸

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